藤島の悠想

読んだ本とか日記とか考えたこととか

贅沢は味方

不純な動機から保育士試験を受けた。

 

一日目の試験が始まる30分くらい前に、彼氏がスタバのドリンクチケットを送ってくれた。「贈ってくれた」だけど、それは実際にはLINEで「送られてきた」

 

正直、きのうの夜は例にも漏れず眠れなくて、眠れないと泣いてしまってもう、やけくその孤独モードに陥っていた

殺伐とした精神で(たぶん顔つきも)でエスカレーターを上がっていた。

 

そんな時にメッセージとともに送られてきたスタバというより彼の心配り(心配りというのは、気遣いと似ているが、彼の頭の一部に私が今日保育士試験を受けるのだということが意識の中にあるということ。脳内メーカーをしたらその中に私がいるということなので心配りであり頭配りである)が、また泣いてしまうくらい嬉しかった。

 

2日め、特にスタバに行きたくはないしなんならすぐにでも家に帰りたかったけど、今日の予定の中で試験を受けることとスタバに行くことは絶対事項だったので寄った。

 

甘いものを欲しているわけでなく、コーヒーも飲めないからなるべくシンプルなものにしようと思ってアーモンドミルクラテにした。

 

しかしこのドリンクチケット700円分とやらはおつりが出ないとのこと。店員さんが「一番大きいのでもいけますし、追加し放題ですよ!」と教えてくれた。

「じゃ、じゃあ一番大きいのでキャラメルシロップ追加してもいけますか」と食いしん坊みたいな発言をしたのに、それでも580円くらいだった。

これは何かしらのフラペチーノものを頼まないとドリンクチケットの活用はむずかしいのではないか

 

客観的に考えると120円ぶんの損失のアーモンドミルクラテを飲んだ。

「ぜいたくだ・・・」と思った。

 

最近思うのは、「ぜいたくだア・・・」と思うとき、選択の贅沢を感じるときだなと思う

 

700円のドリンクチケットでアーモンドミルクラテ(1番デカイのにしてしまったけど。だって店員さんが教えてくれたんだもの!)を選択できること。

 

きれいな花が咲いてるのをみつけたとき(あるいは変な形の雲を見つけた時)、立ち止まって写真を撮れること、水よりもあたたかいお茶を選べることとか。

クリーニング屋さんでロイヤル仕上げをつけられること。

 

つまり、贅沢はお金じゃないんだよという話。じゃなかった

お金がないと選択できないことも結構ある。

 

でも

”贅沢するにはきっとサイフだけじゃ足りないね”

と林檎様もうたっている

 

この歌詞はある意味では保守的につけられた歌詞だと思わない?

 

贅沢なアーモンドミルクラテ、ありがとう