「母性」湊かなえ 読んで病む
最近は夏目漱石を攻めていたけど、吾輩は猫であるが長い&言葉が古風で読みづらく読書そのものが進まなくなっていた。
これではいかんと現代小説を読もうと思って手にしたのが「母性」だった。
これ、母親が二年前くらいに読んでて自分と重ねてしまうといっていて気になっていた。母親はじぶんの子育てが失敗だったと思っていて、私も否定しない。
読み終えた気分はずーーーーんとした気分になった。
親子関係の奇妙さ、複雑さ、怖さ、キモさ。
母親って、子どもにとって偉大過ぎる。母親にどんなひどいことされたって子どもはひたむきに母親を求める。それでもまた傷つけられて、それなのに諦めない。
もういっそのこと生まれてから母親の存在と引きはがしてしまったほうが良いのでは。
私は家族は呪いでしかないと思っている。とはいえ母親が嫌いになれない。好きにもなれない。
おやすみプンプンを読んでからはそれでいいと思えるようになったけど、それまでが本当につらかった。
過去にひどいことをしてきた親と今の優しい親の間でアンビバレントな自分に苦しんだ。
今かかわっている子に過去の私と重ねてしまう子がいる。その子は幼いころから要領のいい双子の妹と比べられ、自分だけきつく当たられ、暴力を振るわれていた。裸で外にだされたこともあった。
親は過去のそのような出来事はなかったといい、その話はもうするなと彼女を抑え込んだ。誰にもわかってもらえず、自分が悪かったと自分を責め腕を切る。眠れずしんどい毎日を送っている。
それなのに家族とは月に2回くらい会って家族の時間を過ごしている。家族の前で明るくふるまって穏便に過ごし、そのあとそんな自分に嫌気がさして自己嫌悪の繰り返し。会わなきゃいいのに、、、とは言えない。
もう遠くへ行ってしまって物理的に会えないようにしてしまうか、自分は家族のこと嫌いだけどかわいそうだから会ってあげてるのだと割り切ってこれからも付き合っていくしかないんじゃないかなーーーみたいな感じ
割り切るって便利な言葉だな。折り合いをつけるも便利だな。
「母性」の神髄は、
"子は親に無条件に愛されることを求める"
のに対し、母親は
"自分が母親に求めていたことを子に与えようとする"
なのだろう
超不純な動機から保育士試験を受けた
ぼくが保育士試験を受ける理由はだいたい100個くらいあって
ひとつめはここじゃどうも息も詰まりそうになった
ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること
みっつめ保育士の免許とってもいいかな
なんて思っていること
~♪
ぼくには保育士になる理由なんてなにひとつない
保育士試験に合格した!!!!!!
ひとつ挙げるとすれば、前に付き合っていた彼氏の元嫁が保育士だったこと
前髪ですべてを隠していた私とは対照的で、自然派前髪流しのいつも写真で口を大きくあけて笑っている女の人だった
会ったことはないけれど、明るくて一緒にいて楽しくて活発なひとだったんだろうなと思ってた。
元嫁の存在がいつも私を殺した、というより自分で元嫁の写真を見漁ったり(なんかの非営利系団体に属していたからそこのFacebookとかにいた)、名前で検索したりして心の自傷行為に走る日々だった。どうしても元嫁と私が違いすぎて、絶望した。
探ったのもみせてといったのも私だったけど、みせないでいてほしかった
名前まで見えちゃったから、もうどこまでも調べるしかないじゃんか
教えられなくても、彼氏の周りは元嫁のことしってて、しらないのはわたしだけだったから、時々出る元嫁の話題になるたび吐き気と涙がとまらなかった
それに関連して、元嫁の職業だった保育士というワードにさえトラウマ反応が出だした
私が絶対になれないような保育士をしていた元嫁
わたしは元嫁みたいになれない
コンプレックスだらけだった。自分が嫌いすぎて死んでしまいたかった。いまでも当時の自分を思い出すと苦しくなって息が浅くなる
今の自分だったらうまくやれたのにとか、ばかばかしい考えだとわかってても思わない日がない
むりだよ、根本の部分はなにもかわってねえだろ
私が自分を大切にできないことは、彼氏のことも大切にできていないことで、疲れさせてしまって、愛想をつかされてふられた。
そのあと私はちょっと変わった。くっそ生きてやるって。大嫌いな過去はなかったことにした。呪いみたいな場所から解放された
そして去年から保育士へのコンプレックスをいつまでも無視したくなくてなのか、元嫁がしてたことが私にもできるという事実に変えたかったのか、保育士試験を受けた。絶対向いていないでしょと冷笑して自分の一方で無双モードの自分がどんどん前に進んでいった
私が保育士になってたところで、もし前の彼氏が知ったとして、なんてちっぽけで無意味なことなんだろう。でも私にとっては大きかった。大きくて黒い壁だった。
こんな動機から保育士とった人が保育士だなんて、こどもたちの未来が心配
不器用だけど必死に生きてる人たち
✎わたしの職場で出会う愛おしい人たちの記録✎
2023/1/13
Yちゃんは最近精神科病院から退院してひとりぐらしをしている。
発達障害ちっくなところもあり、遊びに来たいといってきたのにじぶんからは全くしゃべらない。真顔で前をみつめている。こちらから話かけると時折にやっとして、ぼそっと答えてくれる。笑ってくれてよかった。今日の朝ごはんはさとうのごはん2パックだったという。
自炊が大変で、ちゃんとごはん食べてないらしい。
今日は事務所でYちゃんリクエストのミートソーススパゲティとポテトサラダを出した。ミートソースはチンのやつ。
Yちゃんはもくもくと食べる。おいしいのかな・・・
途中で他のスタッフが話しかけたときにYちゃんのほうを見ると口の周りがとってもミートソースだらけ。わんぱく。おいしかったんだ・・・
さすがに恥ずかしさもあったようで急いでティッシュで口を拭いてた。
その日以降、また遊びに行きたいとメッセージがばんばんきている。たのしかったんだ・・・
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2023/1/17
Mちゃんが事務所のニンテンドースイッチのジョイコンを直してあげるといってきてくれた。Mちゃんはゲーマー。よく抜血(注射器で自分の血を抜く自傷行為)をして倒れちゃう子。
「Lスティック修理キット」とMちゃんの書かれたジップロックから、ドライバーとかをだして修理し始めた。ダイソーのアルミシール?こんなの使うのかと思いながら見ていたら説明してくれた。「ここの、中の接続部分が折れちゃって電気が流れてないからアルミシールで補強してる」
修理方法は独学?ときくと、「ううん、自分ちのLスティックが壊れた時に、YouTubeで調べてやってたから」という。えらい。そういうのを独学っていうのでは・・・
こういう自分で調べてやってみて解決していける力って、なかなか持ってる人いないと思う。
スイッチを本体とつなげてみると、見事に直っている!すごい~~
この日のMちゃんの服装がデニムのつなぎで本当に業者にみえた。
お昼ご飯はコストコのハイローラーとプルコギ。どっちもthe コストコ。
やさい大嫌いのMちゃんはハイローラーのレタスをきれいに抜いていた。
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2021年のとある晴れた日
これはまだ私が精神科病院で働いていたころの話。
躁うつでかれこれ8回くらい入退院を繰り返しているMくん。わたしのひとつ年上でわたしのことを「〇〇ちゃん♡」と呼んでくる。若くてかわいい娘大好きマン。
過去にアイドルをネトストして手錠をかけられている。高齢化社会の精神科病棟の中で私をアイドル扱いしてくれた。
入院中私が処女か処女でないかで一生悩んでいた。やりまくってそうとか、何人とやりましたかとかセクハラ的発言されまくってたけど別にいやじゃない。ただこれまでの悪行が悪行なので看護師たちに「Mさん、発言気をつけな」って怒られてた。
当時認知症病棟の担当だった私は、認知症でない人との会話に飢えていた。正直中身の濃い会話したくてたまらなかった。だから息抜きに他の病棟に顔を出していた。Mくんは私が自分の病棟に来る日をいつも指折り数えて楽しみにしてくれた。
かっこいい言葉しりとりとかいう友達恋人その他多くの人間が付き合ってくれなかった遊びにずっと付き合ってくれた。
退院しては躁状態になって手錠かけられて入院してを繰り返していたMくん、アガりすぎていると退院できない。
私と話すのもうれしいと思ってくれるゆえ結構ハイになる。退院の話を1ミリでもするとこれまたすぐハイになる。
今回は2年くらいの入院を経て、退院の話が現実的になってきたようだ。Mくんの実家の近くはすでに出禁になっているグループホームが多い。
これまでの経歴を話すとお断りされ、退院先探しが難航したが、少し遠方のグループホームが受け入れ大丈夫ですよとのことらしい。
退院前日、ずっと担当している古相談員が「Mくん、今まで退院が近づいてきたらびゃーー上がって看護師さんとかにいらんことして退院延期とかもあったけどね、今回は良い感じに落ち着いてるわ。」と聞いた。ついに明日退院だ。
当日、見送りに私も立ち会った。
「わああああああ、〇〇さん、きれくれたんですかあ↑↑↑」
ハイすぎる。目がぎらついとる。
看護師は案外あっさりしていて、持ち物を渡すとささっと次の業務に消えていった。
私と先輩相談員㊛が最後まで見送ることになった。お迎えの車に乗り込んだMくん、急いで窓を開けて私たちになんかずっと叫びかけている。
若いコがプリクラでよくやるみたいに、両手を頬にあて、「おふたりとも、べっぴんさんっ」と言っている。スーパーハイモード。
「みなさんのおかげで、入院生活たのしかったで~~~す!!!」と叫んでいる途中で車が発進する。これが私たちの中のMくんの最後の言葉となった。
めちゃめちゃハイで帰っていきましたね。すぐ帰ってくるんじゃないですか。
なんて言いながら、私たちはMくんのことを愛おしがった。
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消息不明だった実姉の扶養照会が届いた
姉とは仲が仲がいいほうだと思う。だけど、姉が今どこで何をしているのかわからない。大学3回生頃から会ってない。姉に送った最後のLINEは、既読すらつかなかった。
(ほんとに仲いいのかわからない)
生きてる?とも思ったけど、定期的にアイコンやホーム画面が変わるから、生きていることには間違いなさそうだった。
既読がついていないこのメッセージをみるのも悲しくて、あまり気にしないように生きていた矢先、実家のある自治体の保健福祉センターから手紙が届いた。
日ごろからいろんな類の督促状が届くわたし、なんかの督促状かと思った。
あけてみると生活保護の扶養照会・・・授業で習ったやつだア
「あなたの姉」って改めてかかれると、なんだか ずしん としたものがあった。
そっか・・・生活保護か・・・
姉は何にしてもセンスがよくて、しまむらの大量に並べられた服たちのなかから光るものを発掘してきたり、100均で最新おしゃれインテリアを爆買いしては月2で部屋の模様替えをしたり、半径10㎞では誰も聞いてないような洋楽を気に入って聴いていたり、ちょっとそういうところが羨ましかった。
ほろり( ^^)
扶養照会って生保申請の抑止力でしかないよ
年末になんとも複雑な気持ちになった郵便物だった。
ゆたんぽで火傷(自由律)
4年くらい使い続けてるゆたんぽで火傷した。
長年可愛がってた飼い犬に噛まれた気分さ。
それがくじらの形にしか見えなくてテンション上がった。
職場の人にみせたら「そんなことより火傷が」って私より心配してた。
彼氏にみせたら「くじらだ。すごい」って言ってくれた。
水ぶくれつぶされて、キズパワーパッド貼ってたら、皮膚が必死に傷を塞ごうとしているのが感じられて生きてる気がした。神秘的な新皮。
医者に2週間たっても治らなかった火傷は跡が残るといわれた。
じゃあ失恋の傷は2年くらいたっても癒えなければ跡が残るのかな。ふう
これ、普通なら熱ッってなって起きてたと思うけど、この日はマイスリー飲んで寝てたのでした。朝方の夢の中ではちゃんとふくらはぎが熱かった。
髪染めた。うれしい
私の乙女は圧倒的黒髪だったから。染めている自分がうれしい
実物もっと透明感あるピンクなのだけど。
死
とんでもないことだけど 人間はいつか死ぬ
僕は頑張るよっ/神聖かまってちゃん
「人は誰でもみんな死ぬさ」
ダス・ゲマイネ/太宰治
死ぬことが人生において唯一の結果なのだから
流星ヘブン/大森靖子
とんでもないけど当たり前のこと。この世界で唯一の絶対。死ぬこと。
この残酷であり幸福である事実に気が付いたのはいつだったんだろう。でもなんとなく生まれた時から知っている気がする。
それとも「一度きりの人生だから」、「死ぬまでには」とか街中にあふれる言葉や、100歳を超えたらすごいとか、そういったことから無意識に死の存在があることを意識してきたのかもしれない。
当たり前なのに、身近に死を感じるとびっくりする。「へぇー」と言っても平常心が一瞬乱れる。
5度の自殺未遂を図ったダザイが最後はやっぱり自殺で死んだということも衝撃なのだ。
の子は、「きっと死ぬとき痛いから」と今をもう少し生きていける曲を作った。老衰だったら痛くなくない?死人に口なしなのでわからないけど。
だからの子のなかで死というのは自殺が前提になっていたのではないかと思う。いつか私も自殺で死にたい。
白でも黒でも黄色でもそれ以外でもいい。
女でも男でもそれ以外でもいい。
絶対なんてなくて、自由精神が良いとされる風潮になった。だけど死は絶対だから。だから死が好きなのかな。ゆるがない絶対が欲しい。ゆるがない愛がほしい。
人生設計を立てるときに何歳で結婚して、何人子供を産んで、仕事はどうするかとか貯金は月いくらするかとか、だから保険はこれに入ろうとか、老後の資金がとか。結婚しなかったらやり直しじゃん。離婚したらやり直しじゃん。絶望の要素増やしてるだけだってなんで気づかない?
何パターンも想定するひまない。
絶対的な死を軸にしよう。何歳で自殺するとして・・・から始まる人生設計
45歳で死ぬと言っているあの人は本当に死ぬのだろうか。
退職翌日にしたこと
昨日付けで会社を退職した。
手取り18万すこし、ボーナスちょろりの老舗民間病院に勤めてました。
まず市役所で
・国民健康保険加入
事前に電話で聞いていた保険料よりも安くてラッキーとなりました。(約16000円→約10000円)
理由は無職の人なので減免が受けられるとのことでした。ただ、役所の言う無職と私の認識している無職では齟齬があり、少しでもバイトをしていたら無職ではないらしい。
週1,2のアルバイトなら許されることもありますが基本はバイトしてたら無職じゃないので減免できませんとのこと。「週3でアルバイトしよかしらん」と思っていたのですが・・・
具体的に上限収入額が決まっているわけでもなく、役所の人も曖昧な答え方しかできないみたいだったのでまあ多少アルバイトしても問題なしとみなしました。
・国民年金へ切り替え
国保加入の手続き(↑)が終わったときにとなりの窓口で年金の切り替えもしていってくださいと言われたのでついでにした。
しばらく貧困生活になるため支払い免除の申請もしようと思ったらそれは離職票が要るらしく、まだ届いていない私はまた改めることに。
次は保健福祉センターで
・住居確保給付金の申請
これは生活困窮者自立支援制度のなかの制度なので知らない人も多いのではないでしょうか。私は大学で福祉を学んでいました(キリッ)
キリッとしておいて、間違えて隣の生保の窓口に行ってしまい、深刻な面持ちで現在の生活状況をきかれました。途中でこれは話が入り組みすぎる・・・と思って間違えていたことに気が付きました。職員さま話をきいてくださりありがとうございました。
その後無事担当の職員が来てくれ、住居確保給付金が受けられる条件などを説明されました。
・離職から2年以内あるいは同レベルで収入が減ったこと
・申請付きのすべての収入が126,500円以下であること
・貯蓄(手持ちもすべて含む)が504,000円以下であること
・ハロワの求職の申し込みをし求職活動をすること
あと細かい条件はありますがこのへんが気になっていたところでした
貯蓄が多すぎるともらえないと聞いていたのでボーダーラインかもと思っていた私はお金を怪しくない程度に降ろしていきました
一応通帳確認されるので怪しすぎるカネの動きはやめましょう
市が直接大家さんに家賃の支払いをするという方法のようで大家さんにはバレます
私は家賃が高めで上限(約42,000円)超えてしまうので超えた分は負担しないとだめです
今日は説明だけ聞いて、7月中に必ず申請すると心に誓いました
最後にハロワ
・失業保険の申請
離職票がないから受け付けませんとのこと
え・・・この前きいたときはなくても申請に来た日からの計算にしてあげられるって言われました・・。
その人の伝え違いか私の解釈間違いで退職翌日から12日まっても離職票が来ないときに、そういう扱いをしてもらえるとのことでした。退散です。
ちなみに申請してから7日間はアルバイトしてしまうと、就労していたとみなされてそこからまた7日間待たないといけません。7日間は耐えましょう。
役所も保健福祉センターもハロワも場所が微妙に離れていてつかれた
申請主義国日本です。利用できる制度は活用したいね
追記(2022年8月8日)
ハロワに行ったら離職票は奪われてしまうのでコピーとってたほうがいいかも。
その代わりになる雇用保険受給資格者証というのはもらえますが、何日かかかった。
住居確保給付金は大家さんに今月の支払い引き落としストップを早めにお願いしましょう。
私は2日前に行ったら「もう無理」とのことで結局7月の申請間に合わなくて泣きました。